恐るべき側面


■カルトと似てる!?■
集団力学や心理学と「カルト」がだいぶ近い関係にある、というのを知った時はちょっと引いた。
集団力学(グループダイナミクス)というのは、集団という場を、重力の場や電磁気の場のように力の働きと考え、このような力について研究する社会学や心理学の分野(岩波書店『広辞苑』より)。演劇ワークショップはこの集団力学に負うところが多い。カルトというのはここでは、統一教会、オウム真理教、ヤマギシ会、エホバの証人、自己啓発セミナー、ねずみ講式販売組織などのような団体のことを指します。
演劇ワークショップにけっこうのめり込んでいる僕なんかは、なんでこんなに人の気分だとか考え方に大きく働きかけることのできるノウハウが、世の中でそれほど利用されてないんだろうと前から思っていた。
が。
利用されてたんじゃん。
いろいろ調べてわかったけど。
利用されてた、というより悪用されてて大問題になってた。
その時ふと思い出したのはキュリー夫人だ。一所懸命勉強して冬の夜は寒すぎて眠れなくて着られるだけの服を着こんでベッドに入って、さらに残った服を布団の上にかけてそれでも足りなくて椅子をのせた、っていうくらいしょうもない屋根裏部屋でひたむきに勉強して、というエピソードが有名なバリバリの勉強家の彼女。ラジウムの発見などの成果を残して、物理学や化学などの分野に貢献した。ノーベル賞も受賞。しかも2回も。ただ、彼女は放射線の恐るべき側面は知らないまま死んでしまったけれど、もし後に自分の研究が原子力兵器の開発に進展したことを知ったとしたら、引く、なんてもんじゃないだろう。なにしろ自分の生涯を注ぎ込んだ研究が、ある意味ではバケモノであったわけだから。
たとえに偉人の話をもってきてしまいました。おまえはそんなに勉強家なのかい、偉人にたとえるんかい、と書いてて自分で思いましたが、まあ、そういうのを思わず連想してしまう種類の引きよう、ということなんですが。
もちろん、実際にはかなり違います。集団力学や心理学の本来の使い方と、カルトでの使われ方は。

■認知的不協和■
カルトといえばマインドコントロール。第二次大戦や朝鮮戦争でこの手の技術が使われていた頃は、拷問などを使った強制的な方法だったりした。ちなみにこれは洗脳と呼ばれるものでマインドコントロールとは違う。今では、人の考え方を改造する方法はその時代よりはるかに進歩してしまった。マインドコントロールをされている側は、自分で気づくことはほぼ不可能だろう。とにかく洗練されている。不本意ながら集団力学や心理学などもこれに貢献してしまっている。
その中に心理学者フェスティンガーの「認知的不協和理論」というものがある。
たとえば、タバコがからだに悪いと知っているけど吸っているスモーカーがいるとする。ここでは、「タバコはからだに悪い」というのは認知で、「タバコを吸っている」というのが行動ということになるが、この認知と行動は矛盾している。そうするとどっちかを変えないとならないように人間はできている。ここで、じゃあ吸わない、と行動の方を変えるなら問題ない。しかし禁煙はそう簡単にはいかない。そして、もう吸っちゃってるんだから、という行動が決まってしまっていたら、今度は認知のほうが変わってしまうんですね。それほどからだに悪いことはないー、とか、ストレス解消になるからいいー、という具合に。認知がですよ、変わってしまうんです。ものごとをありのままみる、認知するって難しいのです。放っておくと自然に自分の都合のいいように変わってしまう。
見方を変えると、行動を変えれば認知が変わる、ということになる。この理論で見つかった人間の習性を、マインドコントロール屋は利用したりするわけです。よくわからずにカルトの集会に参加するという「行動をとる」、集団を肯定する発言をその場のノリでしてしまうという「行動をとる」なんてことでも、自分の認知はその行動と不協和を起こさない方向で変わってしまう。カルトの価値観について、ふつうに考えればおかしいと感じるところでも、このカラクリによって共感してしまうようになる。

■二人の王■
さて、この認知的不協和の理論ひとつとっても、ほんとにありがたいし役に立つし人助けになったりもする、と同時に悪い意味で人を騙すことなどに使うと、今度はそれはそれで恐ろしい威力を発揮する。価値のあるものはほとんどそういう二つの側面をもっているといえる。
ロレンス神父も言っている。

地上に生けとし生けるもの、どれほど有害であれ何かしら地上に善をなし、
どれほどよいものであれ、正しい用法を誤れば本性にもとり思わぬ害をもたらす。
美徳そのものもみだりに用いれば悪徳に変わり、
時として悪徳も行い次第で価値あるものとなる。
このか弱い花のつぼみには毒も潜めば薬効もある。
匂いを嗅げば、その効力で五体を元気づけ
口に含めば、心臓を止め五感を殺す。
こうして、仁徳と悪徳という二人の王が
人間界でも植物界でも常に対立し戦っている。
(『ロミオとジュリエット』シェイクスピア著 松岡和子訳 筑摩書房 1996年)

演劇ワークショップそれ自体に、集団力学や心理学それ自体によい・悪いはない。マインドコントロールそれ自体にも。これは意外かもしれない。悪用ではない例としては、麻薬のリハビリとか少年非行の更正プログラムなどがある。
使い方次第なんです。そしてそれだけどちらの使い方でも強力なものなんです。
これは演劇ワークショップにのめり込んでいる(という行動をとっている)僕がこう考える(認知している)のは、認知的不協和を低めるために認知をゆがめているわけではない、よなあ。
大丈夫かなあ。

などと時には疑ってみることも必要なんだろーなあ。


参考
臨床社会学のすすめ(大村英昭・野口裕二編/有斐閣/2000年)
認知的不協和の理論-社会心理学序説(L・フェスティンガー著/末永俊郎訳/誠心書房/1965年)
マインドコントロールの恐怖(スティーヴン・ハッサン著/浅見定雄訳/恒友出版/1993年)
影響力の武器(R・チャルディーニ著/社会行動研究会訳/誠心書房/1991年)
人格改造マニュアル(鶴見済著/太田出版/1996年)
自己啓発セミナー-「こころの商品化」の最前線(柿田睦夫著/新日本出版社/1999年)

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