■エレベーターにて■
あなたはあるデパートの10階にいます。レストランのフロアです。ここからエレベーターを使って1階まで行きます。
場面を想像してみて下さいね。
10階ではあなたを含め3人の客がエレベーターに乗りました。7階でさらに4人がエレベーターに乗ってきました。4階で5人がエレベーターを降り、2人が乗ってきました。そしてそのまま1階につきました。
そこで問題です。あなたはもし10階から1階までずーっと1人だけだったとしたら、今エレベーターの中で動いたような動きはしたでしょうかしてません。してたらヘン。それこそ問題です。
混んできたから他の人にスペースをゆずっただろうし、すいてきたからゆったりとしたポジショニング(っていうのかな)をとったろうと思うのです。てことは、あなたは動いたんだけど、むしろ動かされたといったほうが近いわけです。
キネティック・ダンスもそうでした。「こう動こう」とは考えないけど、ほかからの影響を受けて動く動く。走る走る。でも実はキネティック・ダンスに限らずダンスは、自分がどう動くか、をみせるのではなく、どんなチカラが自分に働いているか、をみせるものです。それは「重力」だったり(ちなみにこのふたつの漢字、くっつけると「動」に)、舞台上のひとやものとの「関係性」だったりします。もちろん、外部環境だけでなく内部環境からもチカラが働きます。感情とかの。だから「人がどう動くかでなく、何が人を動かすかが大切」(ピナ・バウシュ)なんです。門外漢がもっともらしく書いてしまってますが、それほどはずれてもいないんじゃないかなと思います。彼女がこれを読んだら「あ、あんたわかってるじゃん(ドイツ語で)」と言ってくれるかもしれません。まず読むことはありませんが。
■心の奥の瞬き■
僕が演劇を始めた時によく言われたのは、台本を読むのでなく相手役のすることや言ったことにちゃんと反応せい、そっち優先! といった意味のことでした。ありがち。初心者にありがちなところです。
演劇も同じみたいです。出会う人や起こる出来事にどう反応するか、をみせる。自分をみせるのではなく、自分を「通して」むしろ自分以外のものをみせる。
エレベーターにヤクザのおっさんが乗り込んできたら? あるいは深津絵里や上戸彩、福山雅治やキムタクが乗り込んできたら? 今度は身体はともかく、内心は動きまくりです。これは内面から動いたのではなく、ほかからの影響で内面が動いた。それが表面にあらわれる、と。まあそこまで極端でなくとも、僕らはきっといろいろなことを普段感じてるんじゃないかなと思います。
相手を感じ、自分の内面で起きたものを感じそれをとらえる。何かをしようなどと思わないで感じること。感じれば変化が起きてくる。ほんの微かなそれをキャッチする。とても小さいが、それが大切な大切な「種」なのです。その種でも微かながら表面に現れる。それは見ている者に伝わる。見ている者とは相手役と観客です。表面に現れると言いましたが、現れないほど微妙なものでも人は感じることができる。心の奥の瞬きとでもいうべきそれは他人に伝わるのです。
このことに気づくこと。感じることに信頼を持つこと。この認識が出発点です。アクションに発展する前の「状況の変化」はもう立派な演技なのです。
『演劇の基礎レッスン:マイム』 晩成書房1991年(小谷野洋子著)
ところで、1階についた時点でエレベーターに乗っていた人は何人でしょう?
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